ダンシングクィーンのヒットの経緯

ダンシングクィーンはABBAのヒット曲で、1976年に大流行しました。ABBAは世界最高とも言われるスウェーデンのグループです。ダンシングクィーンのリリースは1975年でしたが、ABBAの最も売れたヒット曲で、このときがABBAの絶頂期です。ダンシングクィーンはTVや映画で今でも耳にすることがあり、当時聞いていた人だけでなく、若い人でも知っている曲として、名曲と言われます。ABBAはビョルン・ウルヴァース、ベニー・アンダーソン、アグネタ・フォルツコグ、フリーダ・リングスタッドの4人がメンバーです。東欧諸国で行われる1974年のユーロビジョンソングコンテストに優勝したことがきっかけで、人気に火がつきました。西側ではオーストラリアで最初に火がつき、西側諸国でも徐々に人気が出ました。ダンシングクイーンはビルボード・シングル・チャートで1位になり、世界的な大ヒット曲として、ABBAにとっての金字塔とも言うべき曲です。

マンマ・ミーア!

ABBAは1982年に一旦活動を停止します。しかし、1990年に再びABBA人気が再燃し、イギリスを中心に、ABBAのベストアルバムがリリースされると、イギリスで売上ナンバーワンになるほど、根強い人気を誇りました。「マンマ・ミーア!」は1999年に初演された、ABBAの曲をちりばめたミュージカルで、大ヒットしました。「マンマ・ミーア!」は、従来のミュージカルとは異なり、ABBAの曲をアレンジすることなくそのまま使用して構成されたもので、カタログミュージカルとかジュークボックスミュージカルとか呼ばれました。「マンマ・ミーア!」は世界的にヒットし、ヨーロッパやアメリカだけでなく、日本でも劇団四季が公演しています。「マンマ・ミーア!」の原題は「マンマ・ミア」でしたが、劇団四季が構成をアレンジした際に、タイトルを「マンマ・ミーア!」としたことで、当初は問題になりました。しかし、当事者やスェーデン大使館を巻き込んで協議した結果、今の形で落ち着きました。

ABBAのカバー

ABBAは楽曲に対するアレンジに厳しいことで有名です。ABBAの替え歌がNHKの子供番組で歌われていたことがありますが、レコードのリリースは許可されませんでした。「マンマ・ミア」におけるアレンジは特例とも言えるケースでした。キャンディーズがABBAのダンシングクィーンをカバーしていましたが、今更ながらその影響力の大きさには、感心されます。ABBAの再結成の話題はありませんが、歳いったABBAの姿を見たいとは思うひとは、ファンならずとも往時を知っている人ならばいないでしょう。

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